(一社)京都府建築士会の活動や京都府下で活躍する建築士の情報を紹介しています。 

contents
〒604-0944 京都市中京区橘町641 京都建設会館別館2F TEL:075-211-2857 FAX:075-255-6077
 
  HOME  >  京都の建築‐先人の足跡
  第1回 | 第2回 | 第3回
京都の建築 ‐ 先人の足跡
京都工芸繊維大学の石田潤一郎教授に案内役となっていただき、京都府下に現存する近代建築を巡る気ままな旅に出かけましょう。
第3回 丹後震災記念館
丹後震災記念館
写真提供:丹後支部 岩田信一氏
 1927年(昭和2年)3月7日午後6時27分、丹後半島北部を震源とする北丹後地震が発 生した。丹後・但馬地方は激震に見舞われ、建築物は壊滅的な被害を受けた。く わえて夕食時であったために、各所で火災が発生し、峰山町では家屋の97%が焼 失し、死者は町の人口の4分の1近い1,103名に上った。

 被害の大きさに加え、1メートルに及ぶ残雪の中に身一つで過ごさねばならな かった被災者の悲惨に同情が集まり、日本全国はもとより、世界各国から約 440 万円の義捐金が寄せられた。京都府は、そのうちの約5万円を充当して、丹後震 災記念館を建設した。竣工は1929年12月である。

 翌1930年には財団法人が設立され、館の目的として、遭難者の慰霊、震災記念物の保存、地震に関する研究、社会教化事業を掲げた。ただ、すぐに京都府の出張所等としての使われ方が主となり、戦後1954年には財団は解散を余儀なくされ た。建物はその後、峰山町に移管されて町立図書館および公民館として用いられた。2006年に京都府指定文化財にとなり、保存活用の手がさしのべられようとしている。現在は京丹後市の練成道場として武道館的な使われ方がもっぱらで、2階が埋蔵文化財の収蔵展示に充てられており、一年に一度、震災の記念日に展覧会場となることで、かろうじて当初の目的とつながっている。

丹後震災記念館
写真提供:京丹後市教育委員会
 建築は、薬師が丘という小高い丘の上に、東を正面としてたつ。鉄筋コンクリート造2階建て(一部地階)で、3つの長方形を幅を狭めながら縦に並べたというべき平面形状をなす。すなわち、最も東側に玄関・事務室・階段室などからなる南北に長いブロック、中央に会堂(現在は武道場)となる大広間、そして西側に祭壇室・準備室を納める正方形に近いブロックである。なお北側に便所を付設し、塔屋上にはサイレンを設置する。

 外壁は凝灰岩の種石を用いた人造石洗い出しとし、腰回りには茶褐色のタイルを貼る。外観における最大の特徴は半円アーチのモチーフである。特に玄関ポーチを構成する大きな三つのアーチは一見して忘れがたい印象を残す。様式的にはロマネスク様式に由来するのであろうが、迫縁は細く、また柱頭飾りなどの装飾もないのであくまでもロマネスク「風」というにとどまる。京都府営繕の設計になる建築でロマネスク的な半円アーチによる車寄せというと京都府警本部が思い当たる。これも震災記念館と同じ1929年の竣工であり、営繕係内で、このモチーフが重視されていたことをうかがわせる。

丹後震災記念館
写真提供:京丹後市教育委員会
 内部では、柱型・梁型を連続させた会堂のインテリアが際だっている。約14 メートルのスパンを飛ばす架構を3メートルピッチで5連、配している。柱がや や内側に転んでおり、また梁との節点が一般的なハンチの形状ではなく、4つの 角をつくって徐々に梁へとつながっている。

 柱と梁を一体化した架構は、1930年以前の作例ではしばしば見られる。1910年 代の鉄筋コンクリート構造の導入時には、その架構を剛節点のラーメン構造と捉 えるのではなく、弾性アーチとして理解しようとした。鉄筋コンクリートを受け 入れたとき、柱も梁も一体のものとして鋳造される点が、軸組工法である鉄骨構 造とは決定的に異なるものと受け止められた。その発想がここには伝わっている ように見受けられる。
 設計を担当したのは、一井九平技師である。一井の経歴は明確でないが、埼玉 県の出身で、工手学校(現在の工学院大学)造家学科の二期生として明治23年 2月 に卒業している。同期には北海道大学のキャンパスを手がけることになる田中豊 太郎、逓信省営繕で活躍した北畠義弘らがいた。一井は大蔵省臨時葉煙草取扱所 建築部技手を経て、京都府に1902年(明治35)前後に赴任した。当初は嘱託の身分 だったと思われるが、1906年に技手となり、1910年に技師に昇任する。

丹後震災記念館
写真提供:京丹後市教育委員会
 明治期の京都府の営繕技師としては、このシリーズの第1回に紹介した松室重光が1898年(明治31)から務めていた。松室は新作と古社寺保存の両面に孤軍奮闘していたわけだが、1901年に京都府庁舎の新築工事が開始されるに及んで、彼の片腕となるべく、一井九平が採用されたものと考えられる。実際、当時の報道は、京都府庁舎本館の設計者として、松室に加えて、一井九平、そして顧問格の久留正道の3者の名を挙げている。特に、完成間近い1904年(明治37)8月、部下が汚職を働いたために松室が辞任を余儀なくされたため、一井は府庁内部では唯一の専門家として最後の仕上げ段階で大いに貢献したものと見られる。

 さて、一井は、丹後震災後、峰山町に設置された復興事務出張所に赴任して、この震災記念館のほ か、峰山小学校本館の設計なども手がけた。この記念館が竣工したのち日浅くし て退官した。その時点で60歳であった。

 丹後震災記念館は、明治大正昭和三代にわたって京都の建築界を支えたテクノ クラートにとって、まさしく有終の美を飾るものとなった。

※特記の無い限り写真は本会所有資料です。
※記事や写真の無断転載はおやめ下さい。
いしだ・じゅんいちろう
1952年生まれ。京都大学建築学科卒業、滋賀県立大助教授などを経て、2001年から京都工芸繊維大学教授。
工学博士。主な著書に『都道府県庁舎』『関西の近代建築』『湖国のモダン建築』(共著)など。
< 丹後震災記念館 >
所在地:京都府京丹後市峰山町室1198

より大きな地図で 丹後震災記念館 を表示
PAGE TOP
 
Copyright © KYOTO SOCIETY OF ARCHITECTS & BUILDING ENGINEERS. All Rights Reserved.